儚くなるその時に
いつもご覧いただきありがとうございます。富山です。
昨日は予定よりも少し早めに仕事が終わったので母の顔を見に片道1時間半の道を車で走って病院に向かった。余命2週間と診断されて、あれからどれだけの月日が流れただろうか?もうじき2年は経つだろうか?
それにしても流石はわが母である。
お医者さんからはいつ亡くなってもおかしくはないから準備だけはしておいてください。と、2年経った今でもそう言われるほどの状態でいる事が母の強さを表しているとぼくは思っている。
とは言え、さすがにこの2カ月ほどは息も絶え絶えで喋るのも辛そうだ。
これを言ってもあまり信じては貰えないと思うのだが、ぼくの周りには亡くなった父や義父、それに祖父や祖母やご先祖の方々がいつも傍にいる感覚が常にある。そんな馬鹿なと笑われるかも知れないが気配はいつも感じているだけで、姿が見えている訳ではありません。
でも、なんとなく守られている感じがしていて、おかげで大きな病気や事故にも遭わずにこの歳まで健康に過ごせていると自分では思っているワケで、たとえ現実的に母が亡くなったとしても、きっと母もぼくのそばで見守ってくれるものだと、勝手に決めつけてしまう癖があるから、ぼくはそれほど母の死を恐れておらず、むしろ早く楽になった方が良いのにとさえ思える。
だいぶ前の事ですが、理由は覚えていないけれど、自宅で夫婦喧嘩をしていた時に部屋の明かりがパチパチパチと3度ほど、点灯したり消灯したりを繰り返した事があるんですよ。あの時は二人で顔を見合わせて「お義母さんが来た」と同時に叫んで、ケンカも忘れて笑いあった事がある。なぜ亡くなったはずのお義母さんだと瞬間的に二人が感じたのか?!それは未だに謎なのだけれど、直感というか、霊感というか、とにかく何故か二人同時に感じたんです。きっとそれは本当にお義母さんがそばに来てケンカをいさめてくれたのに違いない。以来あの照明は点灯を繰り返してはいないし、壊れてもいない。ウソみたいな本当の話し。
ちなみにぼくの息抜きは近所のパチンコ屋さんに行くことなんですが、忙しく働いて、ようやく出来た時間に遊びに行くと決まって勝つのですが、調子に乗って何度も行きだすと必ず負けるんです。しかも、勝つ時は頭の中で囁く声が聞こえるんです。この台だって!そう教えてくれる。なのに、仕事そっちのけで遊びに行くとその声がまったく聞こえなくなって、そうなると必ず負けるんですよ。だから、遊びに行くときはこんだけ働いてたからそろそろ行っても良いですか?って感じで心の中で問う様にしています。
それで昨日ね、母の病室に入ったら母がおもむろに看護師さんを呼んで「弟が来てくれたから椅子を持ってきて欲しい」と頼んでくれたんですよ。ん?弟?
あー、母さんついにボケた?って普通は思うじゃないですか。でも、ぼくは違う。あぁ叔父さんも来てくれたんだねってちょっと嬉しくなったんです。きっとそれは本当に4年前に亡くなった叔父さんが来てくれたんだ、きっとそうなんだと。その証拠にその後の会話はちゃんと自分の息子だと理解して話してくれたと、そうぼくは確信しているから。
でもさ、そろそろちゃんと迎えに来て欲しいなぁ。
母さんは父さんに迎えに来て欲しいと願ってると思うなぁ。
せっかく叔父さんが来てくれたけどね、やっぱり母さんは父さんが迎えに来てくれるのを待っているんだよね。
入院してからしばらくは父さんが育てていたこの花たちを母さんはいつも見たがっていたけれど、きっとそれはこっちじゃなくて、あっちに行ったらまた見せてくれるんだと思うよ、ね母さん。
儚くなるその時はちゃんと父さんが母さんを迎えに行ってあげてね、ね父さん。
そんな事を思いながら病室を後にするぼくの背中に向かって「今日は来てくれて本当にありがとう」と、声を振り絞って母が言う。これが今生の別れと言わんばかりに声を振り絞って母が言う。うん、また来週くるからね、とぼくが言う。いったいあと何回このやり取りが出来るのだろうか。
でも、さみしくはない。だって、いつだってこの先もあなたはぼくのそばに居てくれるんだから。























































