シンボルツリーは窓から良く見える位置に植えたい。

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このところ84歳になる母が入退院を繰り返している。ここ数年は歩行が困難になってしまい殆どを自宅のベットで過ごすか、病院のベットで寝たきりの状態である。
思えば壮絶な人生だったのだろう。病気がちな父の代わりに一家の大黒柱として働き、立派に4人もの子供を育てたのだから母には本当に頭が上がらない。自分が二人の子供を社会に送り出したばかりの今だから母の偉大さが、そしてどれだけ大変な苦労をしてきたかが痛いほどよくわかる。
一番上の長男に至っては有名大学の教授として今もなお数々の論文を世に送り出し、学者として立派に社会に貢献している事を考えると、その子をほとんど女手一つで世に送り出した母は本当に立派だと胸を張って言えるだろう。自分の今を考えると、不甲斐なさで少し母に申し訳なくさえ感じるほどに。
そんな母に頼まれて近所の小学校に満開の桜を観につれて行ってから気が付けばもう2年も経っている。重度の肺炎に掛かってしまい肺に水が溜まっているこの状況ではどうやら今年もお花見には行けそうもない。

いつだって母は自分の事は後回しで、花を愛でる事が好きなのについに倒れるその時まで仕事一辺倒の人だった。そんな母が昨日、病院のベットの上で酸素マスク越しに僅かに聞こえる程度の小声で「桜もう咲いてるかなぁ」と呟いた。
今さらながら実家の庭にシンボルツリーを植えなかった事をぼくは後悔している。そんな発想には誰も至らなかっただけで、ぼくが言い出せば誰も反対はしなかっただろう。こんな仕事をしている自分こそが植えるべきだったと悔やまれる。
窓から見える位置に大きな桜の木を植えたら、きっと母は喜んでくれるだろうか。今年の桜は間もなく散ってしまうのだから、来年こそは母に満開のサクラを見て欲しい。どうか神様、仏様、お医者様、あと一年は母の命を持たせて下さい。そう願わずにはいられない。
だから、シンボルツリーは窓から良く見える位置に植えたい。