春に咲く黄色いレンギョウと高村光太郎

植栽

春の季語のひとつでもある「連翹」レンギョウは鮮やかな黄色い花が密集して咲く低木で、春の訪れを告げる樹木のひとつです。葉が芽吹く前に花を咲かせるので、一面が鮮やかな黄色に覆われるそれは見ごたえの落葉広葉樹です。

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色鮮やかな花色と枝ぶりの良さで生け花にも人気があるレンギョウですがとても丈夫な低木なので住宅の生垣としても、また公園や街路樹としても多く使われていて、たぶん皆さん目にする機会が多いのではないでしょうか。

花言葉は希望

寒い冬が終わって暖かくなっていくこれからの季節にピッタリな木ですね。黄色は有彩色の中でも一番明るく、光や太陽をイメージさせる色で見ているだけで元気をもらえる色です。また、昼夜を問わず認識しやすい色なので夜でも周囲を明るくしてくれそうです。ちなみにレンギョウは漢方薬にも使われているそうで、高血圧や肥満体質、便秘の改善に効果があるようです。

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高村光太郎が愛したレンギョウ

かの高村光太郎の命日である4月2日は連翹忌という季語にもなっているくらいに自宅の庭にあるレンギョウを愛していたそうです。高村光太郎の葬儀の際も棺の上にレンギョウを一枝置いて弔ったのだとか。

高村光太郎と言えば「智恵子抄」が有名ですがぼくは”道程(ドウテイ)”が印象深いです。

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のために
この遠い道程のために

ちょっと前に車のCMで「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」って流れていましたよね。授業でこの詩を読んだときは「なんて自信に満ちた詩なんだろう」そう思っていたんですが、40歳を過ぎたいま、改めて詠んでみると「歩いてきた道は選択してきた訳ではなくて自然大いなる存在に示されてきた」そんなふうに聞こえてきます。そう聞こえてしまうのはぼくの心根がそういう気持ちだからなのか・・・みなさんはどの様に解釈しますか?!

話しがだいぶ横道に逸れてしまいましたがドウテイはさて置いて、とにかく黄色い花が咲き誇るレンギョウの季節がもう間もなくやってきます。この辺りでは南郷通1~7丁目の中央分離帯のレンギョウが見ごたえがあって素敵ですね。なんせ1600本も植えられているそうですから。それから白石サイクリングロードの南郷8丁目あたりはエゾヤマザクラとレンギョウが一緒に植えられているので薄いピンクと鮮やかな黄色の上下に見えるコントラストがたまらなく素敵です。機会があればぜひご覧ください。

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道程の全文を読む

やっぱり道程の解釈は全文を読まなければ正しく理解出来ないような気がします。せっかくなのでご紹介したいと思います。けっこうな長さですが熱いものが感じられますでお時間のある時にでもぜひ。

「高村光太郎全集 第十九巻」 筑摩書房 より

『道程』

どこかに通じている大道(だいどう)を僕は歩いているのじゃない

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり

迷い まよった道だろう
自堕落(じだらく)に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると

自分の道は 戦慄(せんりつ)に値する
支離滅裂(しりめつれつ)な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり これが生命(いのち)に導く道だった

そして僕は ここまで来てしまった

このさんたんたる自分の道を見て
僕は 自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ

あのやくざに見えた道の中から

生命(いのち)の意味を はっきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻(まわ)しては 目をはじき
もう此処(ここ)と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切ったありがたさを 僕はしみじみと思った

どんな時にも 自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ

丁度そのとき 事態は一変した

にわかに眼前にあるものは 光を放射し
空も地面も 沸く(わく)様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした

そしてその気魄(きはく)が 宇宙に充ちみちた

驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた

僕は 武者ぶるいをした

僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!

僕の肩は重くなった

そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ

僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した

かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た

僕は 心を集めて父の胸にふれた

すると
僕の足は ひとりでに動き出した
不思議に僕は ある自憑(じひょう)の境を得た
僕は どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない

僕の前には広漠(こうばく)とした 岩疊(がんじょう)な一面の風景がひろがっている

その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁(ぜっぺき)がある
それがみないきいきとしている
僕はただ あの不思議な自憑(じひょう)の督促(とくそく)のままに歩いてゆく

しかし 四方は気味の悪いほど静かだ

恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのかと思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に わずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして 胸のすくほど深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従って

四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に 小さい人間のうじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ

しかし人類は 無駄なものを棄て(すて)腐(くさ)らしても惜(お)しまない

人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ

自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養(やしな)われ 育(はぐく)まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を 燃やしているのだ

ああ

人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓(ひら)いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため

M.TOMIYAMA

どういうワケか右と左の足の長さが2cmも違うんです。おまけに靴のサイズも左右で違うんです。これって一体どうやってそうなっちゃったんだろう( ^ω^)・・・

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暮らしを彩るステキなアイテムの数々やその時々に感じた大切なこと、楽しんでいることを書き残しています。毎日をほんのちょっと温かく。
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