タイヤのバーストと保険のおはなし
いつもご覧いただきありがとうございます。富山です。
ちょうど一年前の事だけれども、マイカーで普通に道路を走行中に地面の凸凹にタイヤが刺さって、いきなりタイヤが破裂したんです。夜の8時過ぎで辺りは薄暗く、またちょうど雨上がりで道路がテカテカと街灯の明かりが反射していたこともあり路面の凸凹に気が付きませんでした。いきなりのバーストでしたから、そりゃあもう驚きましたね。
買ったばかりのタイヤとホイールのセットが一瞬でパーです。しかも1セットで買おうと思うと4本セットと同じくらいの金額になっちゃうし、ほんと踏んだり蹴ったりとはよく言ったもんです。
最近のアスファルト舗装は大き目の骨材を使っているので、春先になると日中の寒暖差によって凍害が起こり断裂して路面が穴ポコだらけになっちゃうって知ってました?!
こんな時は市の土木事務所に言えば保険が適用になって、何割かは面倒を見てくれるって、誰かに聞いたのを思い出して電話してみたところ、返ってきた応えは「今年は同様の事故が多くて、もう保険は定員オーバーだからすべて自費で交換してください」とのなんとも釈然としない答え。
一体全体、保険ってなんのために、誰のためにあるのでしょうか?! 結局のところ困っている人のためでは無くって、保険屋さんが儲けるためにあるんだと、当たり前の話だけどあらためて思い知らされた感じです。
工事保険などの損害保険なんかも、さんざん長い間払い続けて、いざその時になって申請すると「それは適用外だ」とか「その場合は難しい」とか言って支払いを拒まれる事が多い。そもそも複雑な前提条件が設定されていて兎にも角にもわかりずらい。そのうえ基準もやたらと曖昧なんです。そもそも日本語なんぞ解釈ひとつで白も黒になる世の中なのだから提供者側の都合でどうにでもなる。
そんな事に煩わされるくらいなら、いざとなったら腹をくくって対処すりゃあいいし、そうならないように最善を尽くす方に時間を掛けたい。
過入金分の利息を請求される?
思い返すと、どうもぼくは保険には良い思い出が無い。もうだいぶ前になるけど、親が積立式の保険を解約した際の払戻金が保険会社の手違いで倍の金額が振り込まれたことがある。その後、決算期になって気が付いた保険会社から返金の申し出があったワケだか、あろうことか過入金と一緒に利息分まで請求されたのだ。こんなに返ってくるのかとぬか喜びさせられただけじゃなく、間違って振り込んでおいて利息とは何事かと、当時はずいぶんと驚いた。
保険なんてギャンブルと同じじゃないのか?!
そもそもぼくは保険という仕組みが好きになれない。みんな当たり前のように誰かの命や財産に保険を掛けたりしているけれど、保険をかけていたおかげで得をする人なんてほんの一握りしかいないでしょ?!その他大勢の人はただただ保険料を支払わされているに他ならない。
その場にいる全員からお金を集めて、じゃんけんに勝った人がすべて総どりする、みたいなギャンブルとなんら変わらないのではないだろうか。企業向けの節税型保険などもあったりするが真面目に納税している企業からすると不公平にしか見えない。
人の不安を煽る商売ってどうなのか?!
友人知人でも保険屋さんがたくさんいて、いままでも随分と説明を受けたし、加入するように強く促されたことが幾度となく繰り返されたけれど、そんな説明を受ける度にどうしてこんなにも人の不安を煽りたてるのかと疑問が頭を過る。
未来では何が起こるかわからない。それは誰だって同じです。あした車に轢かれて死んでしまうかもしれないし、5年後にガンを患って医者から死を宣告されるかも知れない。先のことなんて誰だってわからない。でもそれが自分の運命ならば、抗うことができない運命ならば受け入れるしかありません。もしそれが自分の運命ならばぼくは素直に受け入れたい。だからこそ命が尽きるその時まで一瞬一瞬を大切に生きて行きたいのです。
大きなリスクへの対処としては確かに保険は便利な仕組みです。
でも保険に入っていたからと言ってぼく自身の運命を変えられるワケでもないし、残された家族の生活が保障されるワケでもない。そんな事で得たお金なんてすぐに無くなってしまう事くらい想像に容易い。
そんな事よりも自分がたとえ死んでしまっても残された家族が自分たちで生きていける力、つまり生きていく術やそのための仕組みを残してあげるべきなのではないだろうか?!
一緒に働いている妻はムリムリと否定するだろけど、会社の立ち上げから苦楽を共にし、ぼくの傍らで全てを見てきた彼女ならば、きっとその時には職人さん達と力を合わせてエクスリーフを守ってくれるとぼくは信じている。その時のためにすべてを共有し、ノウハウを伝えることをぼくは惜しまない。
そうなれば相当に嘆き悲しむだろうけど、きっと時間とともに立ち直り、やがては自らの力で歩み始めるとぼくは確信している。そんな母親の背中を子供たちが力強く支えてくれるとも信じている。ぼくが残せるモノはそのための会社であり、生きる術である。
だからこそぼくに将来の不安は無い。保険に頼ろうとも思わない。未来にどんな事が起きようともそれを受け入れる覚悟で今を生きたいだけなのだ。