なぜ人は花を愛でるようになるのか?!
当店に外構のご相談でお越しになる方で、時折「花は育てる暇がないので花壇は要りません」とおっしゃる方が居ます。そんな時にぼくは「いまは関心がなくても子育てが落ち着いたらいずれお花を育てたくなりますよ!」と花壇スペースだけは残しておくようにおススメしています。なぜならぼく自身が若い頃はまったくと言って良いほど花には興味がなかったのが、いつのまにやら花に魅せられるようになって、気がついたらお庭をつくる職業についていたワケですから・・・
人はなぜ花を愛でるようになるのか?!
何年か前にマツコデラックスの番組「月曜から夜ふかし」で「人はなぜ花を愛でるようになるのか調査した件」と題して放送された回がありました。その時の内容をまとめるとこんな感じのレポートでした。
- 人間の嫌な部分を見過ぎてキレイな花に癒されたくなる
- 育てる楽しみがある
- 動物と違って予測不能な動きをしない
- 自分が花盛りを過ぎたからこそキレイな花に魅力を感じる
- 動物と違って怖くない
番組そのものがバラエティーなので真面目な調査ではないにしても何だか分かったような分からないような・・・
なぜ若い時には興味が無くて、歳を重ねる毎に花が愛おしくなるのか?! なぜ人は花を愛でるのか?!正直ぼくには解かりません。番組で言っていたこともピンと来ません。ですが人は大切な人が亡くなった時に祭壇にたくさんのお花を供えて見送ったり、あるいは結婚式などの祝いの場では花束で祝福をしたり、そうやって人は花と共に歩んできました。それはたぶんこれからも変わらないと思います。
でも、これだけは言えます。若いうちは花に興味がなくてもいずれ花が愛おしくなる時がやってきます。植物を育ててみたくなる時がやってきます。だから皆さん、花壇スペースだけは残しておきましょう。
紡がれる命の連鎖
花は儚く、それは常に移ろい同じ姿のままとどまることはない。はかなく散ってゆく様をみても、それでもなお美しいと思えるのは再び美しく咲くことを知っているからなのでしょうか。
我が子を見ていると自分と似ているところがあって驚くことがあります。まるでぼくの一部が子供に紡がれているように。そしてまた、ぼくの中にも父や母の一部が息づいていると感じる時があります。だから例えぼくが枯れてしまったとしても、連綿と紡がれる命の連鎖が続く限り、ぼくは何度でも子孫の中で咲き誇る。それはまるで草花のように。
40歳を過ぎて変わること
そうそう番組で他にも40歳を過ぎてから変わった事としてこんな紹介が
- POPから演歌
- ラジオ・音楽に回帰
- DVDをデーブイデー
- 鳥が可愛くなる
- 朝目覚めてしまう
- スカートがはけない
- 膝の位置が下がってくる
- 派手な物の力を借り始める
- 民放よりNHKが落ち着く
- 限りある資源を大切にする
- 神仏にすがる
- ありがたい話が心に染みる
- 晴天が続くと不安になる
ぼくは二つかなぁ、あてはまるの。皆さんは如何ですか?!