いつまでも超える事の出来ない背中

社長のひとり言

今日、苫小牧の現場に行った帰りに実家に立ち寄ってみたら、会議があるので札幌まで乗せて欲しいと頼まれて、何十年か振りに母と苫小牧から札幌までの道のりを二人っきりでドライブしました。ここ数年は忙しくてゆっくり会う暇もなかったので久方ぶりに会話した気がします。とは言うものの、道中はほとんど説教だから参りました。

76歳になっても目標を持って働く母

齢76歳にして、まだまだ現役でバリバリ働く母ですが足腰がだいぶ弱ってきた様子で歩くのも大変そうなのです。息子のぼくとしてはそろそろノンビリと過ごしてほしいと思ったりもするのですが笑顔で「目標を無くした時が老いる時だ」と言われると仕事を辞めたらとは言えなくなるのです。女一人で自営業を40年以上も続けてきた母からしたら、ぼくなんてヒヨッコ同然なワケで説教したくなるのも良く分かるのですが・・・

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それにしても、どうやったらあんなに満身創痍な状態で5年先、10年先の目標を持ち続けられるのかと感心しながら話しを聞いていた時に、ふとアランの幸福論を思い出しました。
100年以上前にフランスの哲学者アランがこんな事を言っています。

「昨日はここまでやった」と言える人は、「よーし、今日はここまで頑張ろう」と思えるからくじけないんだ。次から次へと新しい希望や目標をつくっていけるし、それに向かって進んで行くこともできる

サラリーマン時代に会社で推奨していたビジネス雑誌でアランの幸福論が紹介されていたのですがどうやらぼくは生まれながらにしてお手本のような人がそばにいたようです。

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さらにアランはこんな事も言っています。

人は、どんなときでも希望を失わず、明るく前向きでいる人に会うのが好きなんだ。上機嫌な人は、自分が機嫌よくしているだけで、まわりの人たちを上機嫌にしてしまう。相手に上機嫌を渡すと、楽しい気持ちが相手に伝わり、相手から好意と上機嫌を受け取ることができるんだ。

今日は母上様より、道中ずっとお説教をありがたく頂戴したワケなのですがその顔はやる気と元気に満ちており、怒られたと言うよりも逆に元気とやる気をもらえたような気がします。やっぱりぼくは幾つになっても母を超えられません。

アランの幸福論は難しい哲学書ではなくて、短編のエッセイみたい話しなので読みやすくて分りやすいです。ぜひ読んでみて下さい。

マツユキソウの花言葉は「希望」

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上の写真は春に咲くマツユキソウ別名スノードロップです。アダムとイブがエデンの園に降り立った時に雪が降っていたそうな。その時に天使が雪に触るとそれがスノードロップに変わったそうです。寒い冬もいずれは春になることを天使は告げていたのだろうと。花言葉は「希望」

さあ春も本番、明日からも目標に向かって頑張ろう!

今日は外構の話しはありません。m(__)m

M.TOMIYAMA

どういうワケか右と左の足の長さが2cmも違うんです。おまけに靴のサイズも左右で違うんです。これって一体どうやってそうなっちゃったんだろう( ^ω^)・・・

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暮らしを彩るステキなアイテムの数々やその時々に感じた大切なこと、楽しんでいることを書き残しています。毎日をほんのちょっと温かく。
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