子猫のハルちゃん

社長のひとり言

昨年末に父さんが亡くなった。

ぼくがこの会社を立ち上げるとほぼ同時期に肺がんを患い10年間の闘病生活を経て、入院中にPCRで陽性反応が出たために隔離を余儀なくされた父さん。

最後は自宅で迎えたいとの願いも空しく、ついにコロナ病棟から出ることなく隔離から1週間を待たずに最後はあっさりと新型コロナウイルスによってその生涯に幕を下ろした。

なぜ末期の肺がん患者にわざわざPCR検査を行う必要があったのか。

いずれにせよ病院のベットに寝たきりで酸素吸入のチューブを使わないと呼吸もままならない末期の肺がん患者がどうやって新型コロナに感染すると言うのか。いや、むしろ呼吸器につながれ、歩くことも出来ずにベットで死を待つだけの老人が誰にウイルスをうつすと言うのか。そのせいで家族は最後の面会も許されず、火葬場に運ばれるまでのほんの僅かな時間、ビニール袋に詰められた亡き骸を前に悔しさが滲んだ。この春から5類に移行し、ただのインフルエンザと同じになるという。そうなれば父さんのように独りで孤独な死を迎えなくてもよくなるのだろうか。

思い返せばこの10年間、父さんは本当によく頑張った。肺にべったりと貼り付いたガン細胞をレーザーで焼き、一時は小さくなったかに見えたがすぐに元に戻ってしまった。レーザーで焼かれた後遺症によって亡くなるその瞬間まで息苦しさと背中の痛みに悩まされた日々を送る事になるとは当時思いもしなかったのであろう。

その後はお決まりの抗がん剤治療である。髪の毛まで抜けきって、見るのも辛い様子に変わり果てたが、そのかいあって一時はガン細胞がその姿をくらましたのである。400日後には再び現れるのだが、その時は知る由もない。もちろんレーザーの後遺症により痛みはその先もずっと付きまとう。

だが本当の闘いは再発後に待っていた。

お医者さんが勧めたのはオプチーボという免疫治療薬で比較的に新しい薬。あまり一般的には知られていないがノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大特別教授が、小野薬品との訴訟問題で度々報じられていた話しと言えばピンとくる人もいるだろうか。

これによって免疫力が強化された結果、発症から10年もの長い時間を生きる事が出来たのだから、勧めてくれたお医者さんにも、オプチーボを発見した本庶先生にも感謝の気持ちは持っているのです。

でも、でもですよ。ガン細胞をやっつけるワケじゃないんです。大きくならないように抑え込むだけ。それだけ。

だから、ずーっと、ずーっと具合が悪いんです。いつ会っても苦しそうだったんですよ。辛くないですか?! だから父さんに言った事があるんです。そろそろオプチーボの投薬を止めたらって・・・

そしたら父さん、目に怪我をしてお庭に迷い込んできた子猫が可哀そうだからウチで面倒を見る。だから辛いけど治療は死ぬまで止めない。と、こう言ったんです。

あれからもうすぐ一年が経つ。春に怪我をして実家のお庭でうずくまっていた子猫のハルちゃん。春にあらわれたからハルと名付けられた当時まだ幼かったハルちゃん。父さんが居なくなった寂しさで食事が食べられなくなって体調を崩してしまったハルちゃんだけれど、少しずつ回復して今はほとんど寝たきりの母さんに寄り添ってくれているハルちゃん。

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右目のキズが残ってしまったハルちゃん

たぶん父さんは残された母さんの支えになって欲しいとハルちゃんに後を頼んで旅立ったのではないかと、今はそう思えてならない。

父さん、よく頑張ったね。ちゃんとハルちゃんは母さんの傍に寄り添って支えてるよ。だから安心してゆっくりと休んでね。本当にお疲れさまでした。そしてありがとうね。

それにしても5月からインフルエンザと同じ5類になるというが果たして本当にエボラ出血熱と同じような危険極まりない致死性のウイルスだったのだろうか?! なにがどう変わったからインフルエンザと同じになったのか?!

薬代に年間で900万円もの高額な医療費が掛かるオプチーボの投薬を亡くなるまで打ち続けて免疫療法を続けていた父さんが死に際に家族とも会えず、ひとりさみしくこの世を去り、ビニール袋にぐるぐる巻きにされて火葬場に直送される理由が果たして本当にあったのだろうか?!

そんな疑問が心に突き刺さって当分は抜けそうもない。

でも今はそんな事よりも父さんが遺してくれたハルちゃんの可愛らしい仕草に癒されたい。

M.TOMIYAMA

どういうワケか右と左の足の長さが2cmも違うんです。おまけに靴のサイズも左右で違うんです。これって一体どうやってそうなっちゃったんだろう( ^ω^)・・・

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暮らしを彩るステキなアイテムの数々やその時々に感じた大切なこと、楽しんでいることを書き残しています。毎日をほんのちょっと温かく。
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