シンプルな外構
いつもご覧いただきありがとうございます。富山です。
ぼくが外構のデザインを考える際に最も大切にしている事は「シンプルであること」
シンプルを辞書で調べると「単純なさま」とか「簡素な」とか、「容易な」みたいに表現されている。そのまんまだと、安っぽいイメージで捉えられがちだけれど、ぼくのいうシンプルとは少し意味合いが違う。
ぼくが求めるシンプルな外構とはズバリ「無駄が無い」外構のこと。
え?何が違うの?一緒じゃん?!と、画面の向こう側から今にも聞こえてきそうであるが、ぼくから言わせれば‘‘単純な外構‘‘と‘‘無駄が無い外構‘‘はまるで違う。
例えば玄関前に門柱を建てるとして、ポールに表札やポストなどが付いて立っていれば、しっかりと目的を備えた門柱として究極的にシンプルな姿だ。
それに対して、何だか見た目が寂しいからブロックで塗り壁みたいなモノを建てて、そこにポストを埋め込んで表札を取り付ければ、凄く豪華な門柱が出来上がるじゃん。とか、って話になったりもする。
それはそれでカッコイイ! 例えばこんな感じ
門柱の曲線ラインを取るのにとても苦労したけど、その甲斐あってこれはこれで凄くカッコイイし、お客様にもとても喜んでいただけた自慢の施工だ。
でも、考えてみてください。
あっという間に大気汚染で汚れてしまい、数年後には雨染みだらけで汚くなってしまう事がとても多い。
とくに表面にいろいろと装飾を施すと、雨染みの線がたくさん付着して、掃除してもぜんぜん汚れが取れないし、せっかくのお気に入りの門柱が見るも無残な姿になってしまう。
定期的に表面を塗り替えればキレイな状態を保つ事は可能ではあるが、それにはそれなりにコストが掛かるし、毎日毎日少しずつ汚れていくため、汚れに気がつかない人が多い。
であれば、最初から汚れも目立たないようなシンプルな門柱を立てておく方が良いのではないか。見た目が寂しいと感じるならば、その横に樹を1本植えるとか、ちょっとしたフェンスやレールを建てるとか、デザインで見た目を華やかにする方法はいくらでもあるのだから、大きな門柱にこだわる必要はまったくないのだ。
あるいは門柱が大きいと駐車場を出入りする際に歩道を歩く通行人が死角になってしまう事もある。あげく除雪の際に妨げになる事も本当に多い。要するに邪魔な存在になりがちなのだ。
実際の例で例えるとこんな感じ
他社で施工されて5年程度だが、もう既に洗っても落ちないレベルまで汚れが付着していて一部塗装まで剥がれている。当社で施工すればブロックの線が出ないように施工しているし、表面にコーティングを施すため、ここまでの汚れ方はしないがそれでも汚れは付着してしまうのが現実だ。そのうえ、門柱が死角となってしまうため車の出し入れに際しては邪魔でしかない。
と、言うワケでご覧の通りに改修させて頂いたのがこちら。
邪魔な門柱を撤去したので見晴らしが良くなっているし、見た目もスッキリして実にシンプルになった。
せっかくお金をかけて造った門柱を汚れたまま放置するのはもったいないし、ましてや撤去しなければならないなんて、これほど無駄なことはない。
ならば、その費用を天然石や国産レンガなどの天然素材を使用して、いつまでもキレイに保つことが出来る外構造りにお金をかける事をぼくはおススメしたい。コスト削減の為にほとんどの人がインターロッキングなどのコンクリート製品を安易に使いがちだけれど、コンクリートに色を塗っただけの製品はあっという間に色が落ちて薄汚れてしまう。だったら門柱などを豪華に造るよりはアプローチに天然素材を使って欲しい。そっちにご予算を回して欲しいと言うのがぼくの考え方なのです。
もちろん十分な敷地面積があって、そのうえ潤沢な予算があるのであればカッコいい門柱をご提案させて頂きたいとは思うけれど、もしそうでは無いのであればあれやこれやと造るよりも、一つ一つに拘ってちゃんとしたモノをご提案したい。
「Simple is best」
それこそが「シンプルな外構」であり、「無駄のない外構」なのだとぼくは考えている。まさにシンプルイズベストな外構である。
こちらもシンプルな外構のひとつ。見ての通り、無駄なモノは一切置いていないがアプローチには珍しいブラック色の天然石を使い、玄関周りには季節ごとにプランター栽培を置いて明るさを演出している。汚れてしまうモノや邪魔になるモノは一切置いていない。だからといって単純でも簡素でもない、まさにシンプルイズベストな外構なのです。
ここ数年の物価上昇は凄まじい勢いがあり、今なお仕入先からの値上げ通知が後を絶たない。正直言って異常事態と言っても過言ではない。いつまでこんな状況が続くのか? 考えるだけで嫌気がさすが家を建てれば外構工事は必須である以上、限られた予算の使い方は出来るだけ無駄を省いてシンプルに考える必要もあるだろう。
やっぱりデザインも予算も無駄のないシンプルな外構が今こそ求められている。そんな気がしてならないのである。